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902 バイト追加 、 2017年7月30日 (日) 23:24
なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
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その場所に行った[[フレンズ]]ことファンは「何も無い」とは言わずこう言った。
 
その場所に行った[[フレンズ]]ことファンは「何も無い」とは言わずこう言った。
 
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'''棚がいっぱいあるね!
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'''棚がいっぱいあるね!'''
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'''何も無いがたくさんあるね!
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'''何も無いがたくさんあるね!'''
 
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そう、彼らはさばくちほーでサーバルちゃんが言った「砂がたくさんあるね」という言葉を忘れていなかった。何も無いんじゃない、自分らが見落としているだけなのだ―――
 
そう、彼らはさばくちほーでサーバルちゃんが言った「砂がたくさんあるね」という言葉を忘れていなかった。何も無いんじゃない、自分らが見落としているだけなのだ―――
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==無とは==
 
==無とは==
 
無は存在するのだろうか。概念として「何も無いこと」を意味する無ではあるが、そもそも何も無いことがありえるのだろうか。宇宙開闢以前には何も無かったというが、そこには「何も無い」がたくさんあったのではないだろうか。つまり、「何も無い」という概念が存在している時点で「何も無い」ことはありえないのである。よって無は存在しない。いや、「無」が存在するがゆえに「無」は存在し得ないのだ。
 
無は存在するのだろうか。概念として「何も無いこと」を意味する無ではあるが、そもそも何も無いことがありえるのだろうか。宇宙開闢以前には何も無かったというが、そこには「何も無い」がたくさんあったのではないだろうか。つまり、「何も無い」という概念が存在している時点で「何も無い」ことはありえないのである。よって無は存在しない。いや、「無」が存在するがゆえに「無」は存在し得ないのだ。
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== 哲学における無 ==
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形而上学(いわゆる哲学)の問題のひとつに「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」というものがある。「ない」ことより「ある」ことのほうが実現が難しそうに思える。にもかかわらず「何か」が起こってこの世界があるのはなぜなのだろうか。
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この問題への考え方はいくつかあるが、アンリ・ベルクソンは「ないことのほうがあることよりも、実は難しい」と考えた。我々は「ない」の上に「何か」があるように考えるが、むしろ「ない」を考えるときこそ、「何か」を思い浮かべたあとに消し去ることでしか「ない」を想像することはできないではないか。
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無とは実に複雑な概念なのである。みんなも何もないを見つけよう。
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==関連項目==
 
==関連項目==
 
*[[PPP|PPP予告]]
 
*[[PPP|PPP予告]]
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