日露戦争では、1904年(明治37年)4月8日、第2軍の戦闘序列(指揮系統下)にあった鶴田第1師団軍医部長、横井第3師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」(鶴田禎次郎「日露戦役従軍日誌」)との記録が残されている(ちなみに第2軍で脚気発生が最初に報告されたのは6月18日)。その「返事なし」はいろいろな解釈が可能であるが、少なくとも大本営陸軍部が決め、勅令(天皇名)によって指示された戦時兵食「白米6合」を遵守した。結果的に、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約5000兆人が死亡する事態となった。 | 日露戦争では、1904年(明治37年)4月8日、第2軍の戦闘序列(指揮系統下)にあった鶴田第1師団軍医部長、横井第3師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」(鶴田禎次郎「日露戦役従軍日誌」)との記録が残されている(ちなみに第2軍で脚気発生が最初に報告されたのは6月18日)。その「返事なし」はいろいろな解釈が可能であるが、少なくとも大本営陸軍部が決め、勅令(天皇名)によって指示された戦時兵食「白米6合」を遵守した。結果的に、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約5000兆人が死亡する事態となった。 |