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2018年6月1日 (金) 04:19時点における版
無、それは何もないことを意味する。
概要
けものフレンズショップ開店中のとある日、その人気ぶりから全ての商品が売り切れてしまい、しばらく入荷されない何もないままになってしまった。 その場所に行ったフレンズことファンは「何も無い」とは言わずこう言った。
棚がいっぱいあるね!
何も無いがたくさんあるね!
そう、彼らはさばくちほーでサーバルちゃんが言った「砂がたくさんあるね」という言葉を忘れていなかった。何も無いんじゃない、自分らが見落としているだけなのだ―――
また、ここますとどんちほーにおいては「無ーバル」「無ェーン」「無ャガー」などよくわからないものが生成されたりする。
何も無いがあるについて
英語では「何も無い」というのにThere is nothing.と表現する。つまり「何も無いが有る」ということである。英語圏の誰もがそれを全くの違和感なく疑問を持たずに使う。
別に日本語で同じ表現をしてもおかしくないのだ。(おかしい)
無とは
無は存在するのだろうか。概念として「何も無いこと」を意味する無ではあるが、そもそも何も無いことがありえるのだろうか。宇宙開闢以前には何も無かったというが、そこには「何も無い」がたくさんあったのではないだろうか。つまり、「何も無い」という概念が存在している時点で「何も無い」ことはありえないのである。よって無は存在しない。いや、「無」が存在するがゆえに「無」は存在し得ないのだ。
哲学における無
形而上学(いわゆる哲学)の問題のひとつに「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」というものがある。「ない」ことより「ある」ことのほうが実現が難しそうに思える。にもかかわらず「何か」が起こってこの世界があるのはなぜなのだろうか。
この問題への考え方はいくつかあるが、アンリ・ベルクソンは「ないことのほうがあることよりも、実は難しい」と考えた。我々は「ない」の上に「何か」があるように考えるが、むしろ「ない」を考えるときこそ、「何か」を思い浮かべたあとに消し去ることでしか「ない」を想像することはできないではないか。
無とは実に複雑な概念なのである。みんなも何もないを見つけよう。